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ほっかほっか通信令和6年 12月号のご案内

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No.280

こんにちは♡

 今年も早いもので12月になります。忘年会のシーズンになりますが、忘年会の起源や意味を考えたことありますか⁇ 

何故、忘年会をやるのか。ぼくは、あんまり考えたことありませんでした。

大多数の方は「年末の飲み会の事」って、思っているのが普通のだと思います。

 

ちょっと調べてみました。

意味 ☞ 一年の苦労・嫌なこと・大変だったこと・ツライ・などなど。を、忘れて新たな年を迎えましょう。ということのようです。

 

起源 ☞ さだかではないですが、色々な年末の風習が時代とともに変化したもののようです。

 

ルーツ ⇒ 鎌倉時代(1185年~1333年) 大みそかに「としわすれ」という行事があり、それが変化したとか。

「としわすれ」とは、貴族や武士などの上流階級の人が集まり、厳か(おごそ)に和歌を詠みあう行事(蓮歌 れんか)の事。(蓮歌とは複数の人が集まって、リレー形式で和歌を詠む様式)

今のように、お酒や食事を頂いて賑やかにするものではなかったようですね。

今のような意味になるのは、室町時代。「としわすれ」という意味で、最古の文献「看聞日記(かんもんにっき)」に記されています。

伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)(1336年~1573年)とう方の日記で、1430年12月21日付けで“年末に催された蓮歌会がとても盛り上がり、酒を飲んで乱舞する様子がまるで「としわすれ」のようだ”と記されているとか✎

それでは「年忘れ」が一般に広まったのはいつなの⁇ って、思いますよね。

江戸時代の随筆「古今物忘れ(ここんものわすれ」(1772年)に建部綾足(たけべあやたり)(1719年~1774年)という方が“うさ一年を忘れはべらばやとてぞ、忘年会はすなりという(一年の憂さを晴らすために、忘年会をする)”と、記しているようです✎

 本来の意味は違うようですが。「憂さ」とは“忠誠を尽くすべき君主や親が年を取り、老いていく”というつもりで書き記したものが、いつしか意味が変わってしまい、嘆いていたとか……。

 「忘年会」として定着したのは⁇ 

明治時代の小説家、夏目漱石の有名な小説「吾輩はねこである😹」に、“向島(むこうじま)の知人の家で忘年会兼合奏会がありまして” という一文があり、明治時代に定着したようです。

 でも、どんな内容の会なのかは、詳しく書いてないのでわからないとか……😸

 

 忘年会も奥深い?と言えるのかな? あまり飲みすぎず、楽しいお酒の席にしましょうね。

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